受験生のみならず、学生の方にとって「 学問の神様 」といえばなくてはならない存在です。合格祈願だけでなく、学業成就のためにもぜひ一度は足を運んでお参りをしたいと考えている方もおおいはずです。
今回は 関西 エリアの「学問の神様」三大スポットについてご紹介いたします。
学業成就・合格祈願に足を運ぼう!関西エリア三大学問の神様
学問の神様とは
学問の神様といえば「菅原道真(すがわら の みちざね)」です。菅原道真は平安時代の貴族ですが学者としても広く名をはせています。
その家計は由緒正しく、曾祖父である古人公の時代にはすでに学問で朝廷へと仕えていたと言われています。
また道真の祖父にあたる「清公(きよきみ)」は私塾を開設し、そこから多くの官人を朝廷の要職へと輩出した実績ももっています。
このような学問のサラブレッド一族の子として誕生した道真は類まれなる才能の持ち主として多くの民から厚い信頼をうけていました。
その才能はわずか5歳で和歌を詠んだことから神童と呼ばれたことからはじまっています。
青年期には学者としての最高の位となる「文章博士」にまで上り詰めるほど勤勉で才覚ある青年でした。このような才能あふれ、人望に厚い菅原道真を学問の神様として祀っている神社は全国になんと12,000以上存在するとされています。
有名なところでは九州の「太宰府天満宮」、山口県にある「防府天満宮」、そしてこれからご紹介する京都の「北野天満宮」です。
日本の三大学問の神様の一つ京都「北野天満宮」
京都で学業成就・合格祈願をとなると「北野天満宮」が最も有名なスポットとなります。
梅と紅葉で有名な北野天満宮の「梅」もまた学問の神様とは切っては切り離せない関係となっています。
菅原道真が最も愛した花が「梅」だと言われていることから、学問の神様を祀る神社ではシンボル的なアイテムとして使用されています。
また梅とセットとなるのは「牛」の存在です。北野天満宮に参拝される際はまずは「なで牛」と呼ばれている牛の銅像を撫でるところからスタートしましょう。
このなで牛の頭を撫でることで、撫でたものの頭をよくしてくれるといういわれがあるからです。
牛と菅原道真の関係性は諸説あり、丑年であったのではないかということや、丑は古来から神様の使いであったとされているなどいわれています。
北野天満宮
- 京都府京都市上京区馬喰町
大阪の学問の神様といえば「大阪天満宮」
京都の「北野天満宮」とおなじ天満宮の名をもつことから、こちらでも菅原道真を祀る学問の神様として有名なスポット「大阪天満宮」です。
大阪の人たちからは「天満の天神さん」の愛称で親しまれており、お参りだけでなく近隣には関西人のダジャレが聞いた開運フードなどもあり人気を集めています。
こちらの大阪天満宮は菅原道真が福岡の「太宰府」に左遷される道中に、天満宮の境内にある「大将軍社」に参拝したことが起源とされています。
この「大将軍社」にはいわれがあり、道真が亡くなった後、参拝したその「大将軍社」の前に突如7本もの松の木が生えたのです。その7本の松は毎夜黄金色の霊光を放っていたとも言われています。
これを聞いたときの天皇である「村上天皇」が道真を勅命として祀ったのです。現在では学問だけでなく芸能の神様としても崇められ、多くの人々が参拝に訪れています。
大阪天満宮
- 大阪市北区天神橋2丁目1番8号
京都は北野天満宮だけじゃない「長岡天満宮」
京都には北野天満宮だけではなく、菅原道真を祀っている神社は数多く存在しています。これは菅原道真が京都の産まれであったことも影響しているのです。
そのなかにある「長岡天満宮」は関西の三大学問の神様としてなくてはならない存在です。
京都のみならず関西には他にも多くの有名な学問の神様を祀る神社がありますが、やはり天満宮の名をもつこちらを外すわけにはいきません。
こちらの「長岡天満宮」は大阪天満宮と同じく、道真が太宰府へ左遷される道中に立ち寄った神社です。「在原業平」たちとここで「詩歌管弦」を楽しんだことを思い出したため立ち寄ったと言われれいます。
都を離れることに名残を惜しんだ道真が都を振り返って思いをはせていたことから「見返り天神」という名前ももっています。
また大宰府へと道中共にした3人が、道真との別れ際に頂戴した道真自作の木の像を「長岡天満宮」へ持ち帰りご神体として祀ったことが起源であるといわれています。
長岡天満宮といえば、学問の神様としてだけではなく、結婚式をあげられる方も多くそちらでも大変有名な神社となっています。
長岡天満宮
- 京都府長岡京市天神2丁目15-13
まとめ
学業成就・合格祈願に足を運ぼう!関西エリア三大学問の神様
学問の神様とは
日本の三大学問の神様の一つ京都「北野天満宮」
大阪の学問の神様といえば「大阪天満宮」
京都は北野天満宮だけじゃない「長岡天満宮」